イギリスは明治日本にとっては近代化のモデルであり、憧れの国であった。「英国病」に蝕まれた現代のイギリスを知っている日本人には、ユニオンジャックが栄光に輝いた日の大英帝国の姿を想起することはむつかしい。同様にイギリスから御雇外国人を招き、イギリスへ留学生を送り、競って英書を翻訳した明治の人びとが、どれほどイギリスの社会や文化に憧れていたかを理解することも容易ではなくなった。
幸いなことに、矢口文庫の中の和綴じ本のなかには、福澤諭吉の『西洋事情』、スマイルズの『自助論』を訳した中村正直の『西国立志編』といった明治のベストセラーをはじめ、イギリス史やイギリスの経済学に関する明治の翻訳書が多数含まれている。
これらの和装本を手にされるならば、読者は必ずや近代化に打ち込んだ先輩の情熱を感じとられるにちがいない。そうした明治の訳書のなかからレヴィ著『大英商業史』17巻、明治12年(第9巻に明治14年2月の序あり)をとりあげ、その訳者田口卯吉と原著者レオン・レヴィを紹介してみたい。
田口卯吉、鼎軒(テイケン)(安政2年~明治38年、1855~1905年)は実に早熟の人で、紙幣寮に出仕しながら、政府の保護貿易政策を攻撃した処女作『自由貿易日本経済論』(明11)を発表し、翌年にはイギリスの『エコノミスト』を範とした『東京経済雑誌』を創刊している。まだ、20代台前半であった。
ここにとりあげたレヴィの500ページを越える大著History of British commerce and of the economic progress of the Britishnation 1763 - 1870, London, 1872の訳書(後半の第9巻以下は藤田静の訳)を刊行したのも同じ時期であった。彼の立場は終始イギリス流の自由主義でもって貫かれており、生涯、自由貿易主義、自由主義経済理論を主張し続けたのである。
田口卯吉の自由主義は、じつは彼が若き日に訳した『大英商業史』の著者の主義主張でもあった。原著者レヴィ(Leon Levi, 1821 - 1881)はユダヤ系イタリア人で、1844年に渡英、イギリス市民となり、のちにリバプール商業会議所の事務局長に就任した。彼は経済の理論と実務に精通した人で、統計協会副会長を務めた統計家であり、イギリス商法の改正に貢献した商法学者でもあった。
田口のひたむきな自由貿易の主張は、イギリスにおける自由貿易運動の闘士リチャード・コブデンを彷彿させるが、レヴイはそのコブデンの友人であり、1865年、ロンドンのキングス・カレッジで「リチャード・コブデンについて」と題して講演し、パンフレットを出すほどの心酔者だったのである。
大著の「はしがき」において、「イギリスが今日の高い地位につきえたのは、商工業を拘束せず、自然の法則を妨げず、あらゆる障害を除去し、各人のエネルギーを適切に発揮しうるように、すべての道を開放したからである」といったレヴィの言葉は、田口には偉大な国の歴史的教訓として受けとめられ、彼の終生変らぬ信条となったのである。
矢口孝次郎先生と矢口文庫については、『関西大学通信』101号、昭55.1.18(森川彰稿)、関西大学図書館報『籍苑』9号、昭55.3(拙稿)、「矢口孝次郎名誉教授追悼文集」(『経済学会報』創刊号、昭55.12所収)に詳しい。
なお本稿の執筆にあたり、図書館の万里小路通宗、大国克子、仲井徳の諸氏から助言をいただいた。
荒井 政治(名誉教授)
昭和60年4月28日発行 関西大学図書館報『籍苑』(第20号)より転載
(所属は執筆当時のもの)