宮島文庫

宮島綱男氏

宮島文庫は本学元理事長宮島綱男氏の旧蔵書2,700余冊を集めたもので、その内容は主として経済学と社会思想に関するものである。前回の岩崎文庫を古典社会学の宝庫と呼ぶならば、この宮島文庫はそれに対して古典経済学の宝庫と呼ぶに相応しいといえるであろう。宮島綱男氏は明治41年早稲田大学商科を卒業し、同学の在外研究員としてヨーロッパに留学。特にフランスのシャルル・ジィドに薫陶され帰朝後大正2年から7年まで早稲田大学教授として経済学を担当した。そこまではさきの岩崎博士とよく似たコースを辿られたわけであるが、大正8年縁あって本学教授に迎えられ、経済学を講義する傍ら、同10年から昭和初期に至るまで教授兼専務理事として本学の本拠地をこの千里山の地に移し、旧制大学に昇格させ、昇格直後の多端な大学の経営と教育に当ったのである。昭和3年故あって一旦本学を去られたのであるが、その後は国際労働機関の日本資本家側代表顧問としてジュネーブ会議に出席し、その資格のまま数年の間フランスに滞在。再帰朝後は神戸日仏協会々長として日仏文化の交流、日仏親善の増進に努力した。その功績により晩年フランス政府よりレジォン・ドヌール勲章のコマンドールを授与されている。他方イギリス王立経済学会、パリ経済学会、パリ統計学会、アメリカ統計学会々員として国際的に活躍した。しかし何れにせよ宮島氏の本学における功績は、前述の教授兼専務理事として大学経営と教務に専心した他に、昭和23年から27年までの間理事長として新制大学への移行、千里山遊園地(今日の関西大学会館、高中学校、教育後援会本部の所在地)の買収、大学院の設置等戦後の困難な時期に学園の復興に尽力し、今日の発展の基礎を固めたことであろう。丁度戦後の一時期に教学の岩崎、経営の宮島といわれたお二人の旧蔵書が岩崎文庫として、また宮島文庫として共に図書館に保存されていることは、本学の長い歴史上、まことに興味深いことではなかろうか。

古典経済学以前

普通一般に経済学はアダム・スミスの「国富論」から始まるといわれているが、しかし実際にはそれ以前にも幾人かの著名な経済学者が現われている。いまこの文庫からそれ等の人々の著作を年代順に拾ってみると、J.グランドの「死亡表に関する自然的および政治的諸観察(1676年刊)」があり、書名から見れば政治の本なのか、それとも数学の本なのか一寸判断に困るというタイトルを持つW.ペティの「政治算術(1691年=初版本)」、T.マンの「外国貿易によるイギリスの財宝(1713年刊)」、J.スチュアートの「経済学原理(1767年=初版本)」等が挙げられる。また有名な「経済表」を著したケネーの「著作集」は、彼の死後114年もたった1888年にオンケンの編集によってパリで出版されたものである。

イギリス経済学

しかし何といっても、この文庫の代表的なものといえばそれはアダム・スミスの「国富論(1776年=初版本)」であろう。正しくは「国民の富の性質および原因に関する研究」と名づけられる本書は、経済学の古典中最も有名にして且つ巨大な典籍であり、経済学徒にとってはマルクスの「資本論」と共に最も身近な書物である。それ故か、本書の初版本といえば「資本論」の初版本と共に今日の古籍市場において法外な価格で取引きされるのが常識となっているのである。スミスの「国富論」と並んで有名なのは、マルサスの「人口論」であろう。本書は、初め1798年に出版されたが、文庫中のものは1803年に出版された第2版である。しかし本書の初版と第2版の間では、マルサス自身の人口と食糧問題に関する考え方の変化により、出来上がった書物は全く別の著作といっても良い程の相違があり、今日マルサスの「人口論」といえば普通には初版よりも、むしろこの第2版の考えに基づくものといわれているようである。同じくマルサスの著作に「経済学原理(1820年=初版本)」、「経済学における諸定義(1827年=初版本)」があり、前者は後述のリカードの「経済学および課税の原理」の刊行に刺激されて出版されたもので、その目的は主にリカードの立場を論破するためにされたものといわれている。リカードの「経済学および課税の原理(1817年=初版本)」は、スミスの「国富論」がそのタイトルの示す如く、経済学を国富の性質と原因を第一の問題として追求したとするならば、本書は、分配問題を経済学の中心に取り上げたもので、古典経済学の完成を告げる不朽の名作といわれている。マカロックの「経済学原理(1825年=初版本)」は前述のリカードの「経済学および課税の原理」の解説書であり、J.S.ミルの「経済学原理(1848年=初版本)」は、わが国においても早くからスミス、リカードと並んで代表的な経済学の教科書として用いられて来たものである。「経済学の性格および論理的方法(1869年=初版本)」はミルの直弟子であり、最後の古典経済学派とみなされるケインズの著作である。

フランス経済学

経済学とは何ぞやという問に対してその答えはそれぞれの学説によって多少異るであろうが、素人的に一口に云うならば、それは物(商品)の生産、分配、消費の関係を科学的に究明し、以て人間生活の改善と合理化をおしすすめる学問といえるのではなかろうか。そのような構想で経済学を体系的に把握した最初の書物がセーの「経済学概論」である。本書の初版は1803年に出版されたが、文庫中のものは彼の死後その息子オラースによって1814年に出版された第6版で、その決定版ともいわれているものである。シスモンデーの「商業的富(1803年=初版本)」、「経済学新原理(1819年=初版本)」は前書がスミスの体系に忠実であったのに対し、後書はそれに批判を加え自らの体系を打ち立てた書物である。バスティアの「経済的調和」は彼が1850年ローマで客死するまで書き続けた未完の書で、文庫中のものはその翌年に出版された第2版である。

ドイツ経済学

次にドイツ経済学を一瞥してみると、この国では経済学という学問が体系的に樹立されたのが、イギリス、フランス両国に比べてやや遅かったために、ここには前述のような古いものは見られないが、それでも19世紀中葉から今世紀初頭におけるドイツ経済学の主要な著作が体系的に集められている。先ずイギリスの古典経済学に対してドイツ流の独創的な学説を打ち立てるために、意欲を燃し続けて執筆したといわれるF.リストの「経済学の国民的体系(1841年)」の「第4版(1922年刊)」がある。続いてスミスの影響を受けることが大きかったといわれるK.H.ラウの「経済学概論(1826年から28年)」が所蔵されているが、ドイツの経済学が原論、政策、財政学に分類されているのは彼の説に負うといわれている。文庫のものはその晩年の1860から62年にかけて出版されて4から6訂版である。

F.B.W.ヘルマンの「国家経済学研究(1832年)」は特に価格論、地代論、賃金論の分野で独自の見解を示したといわれるもので、文庫中のものは彼の死後K.ディールの緒論を付して1924年に出版された第3版である。

レクシスの「一般国民経済学(1913年刊の改訂第2版)」は、資本主義を歴史的・社会的に把握しようとした労作である。またシュモラーの「国民経済学原論(1900年)」は20世紀初頭のドイツにおいて、その資料の膨大さとその出版部数の多さにおいて、他の追従を許さない書物として有名である。所蔵のものは彼の死後1923年に出版されたものである。

フィリッポヴィチの「経済政策(1899年から1907年)」はそれ以前の経済政策が個々の産業部門に分けて論じられていたのに対して、これを統一的に把握しようとした点において経済政策学上、画期的な著作といわれているもので、文庫中のものはこれも同じく著者の死後1921から22年に出版されたものである。他にフックス、クラインヴェヒテル、G.ヤーン、イェンチュ、リーフマン、H.オスヴァルト、ゾンバルト、ウイルブラント等の諸著作も所蔵されている。

社会思想関係

ロバート・オーエンの「新社会観(1816年=初版本)」はイギリス産業革命によって惹起された種々の労資問題を論じたもので、今日では空想的社会主義の代表作といわれているものである。フーリエ思想の教義書とまでうたわれている彼の「誤れる産業(1836年=初版本)」と、フーリエ思想の解説書といわれているコンシデランの「社会の運命」は、初版と第2版を交えて1834年から49年にかけて出版された揃いものである。J.S.ミルの「女性の隷従(1869年=初版本)」は婦人解放問題を扱った古典的代表作であろう。

結び

以上述べたこれ等の図書を含む本文庫を概観して先ず感じることは、経済学上極めて体系的に、書誌学上良くこれだけの古典、就中初版本が集められているということである。従って宮島氏のこれ等の図書に対する愛着は一通りではなく、すべての図書にはカバーをつけて読まれたらしく手垢一つなく所持されていたのである。晩年には眼を患い読書も殆ど不可能な状態であり、それがためこれ等の図書は一冊一冊厚紙をもって包装し、片時も身辺から離されなかったのである。亡くなられる(昭和40年3月)少し前に、その御意思により本学に寄贈されることになったため、筆者自身甲陽園のお宅へ足を歩ぶこと数回、その本の由来、そして今後の保管と運用について細部にわたってお話を伺い、おし頂くような気持で頂戴して来たことを記憶するが、今となってこれ等超一流の諸家の諸本を持つ宮島文庫は、学内学外の専門家達にとっては垂涎の対象であり、同時にそれを所蔵する本学の図書館はまた学内学外に対して大きな誇りを感ずるわけである。

萬里小路 通宗(東西学術研究所事務長)

昭和60年4月28日発行:関西大学図書館報『籍苑』(第20号)より転載
(所属は執筆当時のもの)