今一つは服部敏夏の書入れのある古万葉集である。敏夏は以文と同じく京都の人、俗称を中川屋五郎右衛門といって本居門下の歌人であった。
その丹念な書入れもさることながら、興味のあるのは巻二の末尾に記されている次のような記事である。
文化十三年丙子二月三日夜会読清訓
於中川之家
会読一座
本居大平
長谷川菅雄
城戸千楯
予
1行目終りの「清訓」は文字通り教示の意であろうか。案外施訓の誤りかとも思うが明らかでない。末尾に予とあるのはもちろん服部敏夏、本居大平は宣長の養子で紀州藩に仕えた人。長谷川菅雄は和泉の人で宣長の門人。城戸千楯は京都の人でやはり宣長の門人、紙魚屋と号した人である。
これらお互い遠く離れている人たちが、敏夏の中川の家に会合して万葉集を輪読したということだけでも、わたしたちの襟を正させるものがあるのではないだろうか。
こう考えてみると稀覯書のないと思われた生田文庫にも捨て難いものがあろう。腰を落付けて見れば、まだまだ収穫の期待できる生田文庫である。ことに頴原文庫と1冊になった目録ができていることは有り難い。
吉永 登(名誉教授)
昭和60年4月28日発行 関西大学図書館報『籍苑』(第20号)より転載
(所属は執筆当時のもの)