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服部文庫

 

本文庫は西洋中世哲学、特にアウグスチヌス研究の権威として名高い服部英次郎先生の御蔵書を一括して収めさせていただいたものである。

服部文庫の総冊数は約3,600冊である。その内、和書は西洋哲学関係の110冊だけが含まれていて、それは通常の書架に分散して並べられ、残りの約3,500冊の洋書が纏めて置かれている。洋書の内容を大体見渡したところでは、聖書学、キリスト教史、および神話学関係が約100冊、文学書約50冊、歴史学、政治学、社会学関係が約50冊、合計約200冊を除く、約3,300冊が広い意味での西洋哲学の文献である。このことから、先生が書物の蒐集という点では西洋哲学に全力を傾けてこられたということと、西洋哲学以外の関心領域がどこにあったかが分かるであろう。

西洋哲学関係の約3,300冊を通覧したところでは、一般的問題に関する理論的な研究書は少なく、古代哲学が約15%、中世哲学が約60%、近世哲学が約25%くらいの比率である。蔵書からも推察されるように、先生の学問は哲学史家としての関心に根ざしているといえる。特に日本では専攻する人が少ない中世関係の文献が圧倒的に多いことは本文庫のすぐ目につく特色である。しかも中世哲学関係の約半数はアウグスチヌスとトマス・アクィナスで占められ、その蒐集ぶりは個人蔵書としては驚くほど徹底している。各種の原典、註解、近代語訳、辞典、専門雑誌、研究書といった風に基本文献が網羅され、今日では入手しえない珍書も数多く見出しうる。本文庫全体の約4分の1がアウグスチヌスとトマス・アクィナスで占められているのは、中世哲学史家としての服部先生の学問の在り方からいって当然なこととはいえ、西洋中世を代表する二大哲学者に研究の主力を注がれたことは、先生の学問に対する姿勢がきわめて正統的であることを物語っている。

中世関係以外で目立っているのは、古代ではプラトンとアリストテレスであり、近世ではエラスムスとフランシス・ベーコン、デカルト、スピノザ、シェリングである。プラトンとアリストテレスが多いのは中世哲学との関連から容易に頷けるが、近世の哲学に対しても先生がなみなみならぬ関心を持っておられることはやや意外かも知れない。しかも17世紀の哲学だけでなく、ライプニッツからニイチェにいたるドイツの哲学にも深い理解をもっておられたことは、本文庫の前に立てば一目瞭然となる。こうして全体を見渡すと、先生の哲学的な立場は、西洋的なヒューマニズムを背景とする合理主義を中心とした、極めて広い視野のものであることに気づくのである。

本文庫に収められた服部先生の数多くの蔵書の中から、稀覯本として図書館の別室に置かれているものは20点、35冊である。その中に、近代日本が産んだ世界的哲学者である西田幾多郎の自筆原稿「実践と対象認識」が保管されているので、まずこれについて触れることにしたい。

 

西田幾多郎の自筆原稿

「実践と対象認識」という論文は、西田幾多郎の「哲学論文集 第2」(全集第8巻)の二番目に置かれており、400字詰原稿用紙278枚からなるものである。この時期の西田幾多郎は歴史的実在の構造を明らかにしようと試みており、この論文においても、その副題が示しているように、歴史的自己の制作行為として対象認識をとらえようと試みている。

次に西洋哲学に関する原典の初版本および古版本について瞥見することにしよう。

 

プラトン全集

時代順に取り上げてゆくと、まず1781年から87年にかけて、ビポンティナ協会(Societas Bipontina)によって刊行されたビポンティナ版のプラトン全集がある。

本全集は全部で12巻からなっている。第1巻の冒頭に「ディオゲネス・ラエルティウスによるプラトンの生涯」がやはりフィチーノのラテン語訳つきで掲載されている。

ディオゲネス・ラエルティウスは西暦3世紀前半の人といわれ、列伝体風に書かれた最初のギリシャ哲学史である「哲学者たちの生涯」(Vitae Philosophorum)を書いた人として名高い。

この書物の第3巻がプラトンの生涯と学説の叙述のあてられているので、ビポンティナ版では解説的な序文の役をさせているのである。これに引き続いて、アルベルトゥス・ファブリキウスによる「文献上の覚書」(Notitia Literaria)が附加えられている。

大雑把に目をとおしたところでは、プラトンの生涯、先覚の影響、プラトンの思想、原典の刊本などについて、古典期のギリシャやローマの文筆家、アレクサンドレィアなどの文献学者、さらにギリシャ教父らの伝承を引用しつつ、丹念な説明がなされている。このあとにプラトンの作品の本文が掲載され、第1巻には「エウチュプロン」、「ソクラテスの弁明」、「クリトン」、「パイドン」の4つの対話篇が収められている。

ピボンティナ版全集では、プラトンの作品は第1巻から第11巻までに配列されているが、最初の「エウチュプロン」から最後の「定義集」にいたるまで、首尾一貫してステファヌス版の順序にしたがっている。

各対話篇の冒頭にはフィチーノによる簡潔なArgumentum(主題)がつけられ、しかる後に、最初に述べたように、各ページの上段にギリシャ語原典、下段にフィチーノのラテン語訳が載っている。そうして最後の第12巻にはマールブルクの教授であった Diet Tiedermann による Dialogorum Platonis Argumenta (プラトンの各対話篇の主題的内容)が収められ、各対話篇の中心的テーマをラテン語で解説している。

ところで残念なことに、本文庫においては第6巻が欠けている。第6巻に収められている対話篇は「政治家」、「ミノス」、「ポリテイア」の第1巻から第4巻までである。

本学の内山助教授の御教示によると、ビポンティナ版のプラトン全集はドイツではかなり流布されているが、日本には非常に僅かしか入っていなくて、京都大学にもないそうである。ヘーゲルも本全集でプラトンを読んだということを聞くと、改めて感興が湧いてくる。

 

トマス・アクィナス「神学大全」

プラトンの次に挙げるべきものは、1590年にイタリアのベルゴモにおいて、Cominus Ventura によって刊行された、トマス・アクィナスの「神学大全」の刊本である。

印刷術が発明されると、1570年から71年にかけて刊行された所謂ピオ版(第1ローマ版)の全集をはじめとして、現在刊行中のレオ版全集にいたるまで、トマス・アクィナスの著作を集めたさまざまな版の全集が次々に出版され、文字どおり汗牛充棟の観がある。

ピオ版の次に出たトマス全集は1592年から94年にかけて第1ヴェネチア版であるから、1590年にベルゴモで出版された本文庫の「神学大全」はきわめて初期の文献であり、大変骨董価値の高いものといえよう。ピオ版以後に出たトマス全集は、長らくピオ版のテクストを踏襲しているから、この刊本も当然ピオ版のテクストに準拠しているわけである。

トマスの「神学大全」がカトリック教会の神学教科書として承認されていくにつれて、15、6世紀に入るとすぐれた注釈書が踵を接して現れてきた。その中でもっとも有名なのが Thomas de Vio Caietanus(今日では簡単にしてカエターヌスという)(1469~1534)の注釈であって、1507年より22年にかけて完成された大部なものである。1590年にコミヌス・ヴェントゥラという出版者によって公刊された本書は、トマス・アクィナスの本文とカエターヌスの注釈とから成り立っている。

 

近代思想の稀覯本

プラトンとトマス・アクィナスのことが長くなり過ぎたので、近世思想の稀覯本については簡単に述べることにする。

まず最初に近世の自然法や国際法の父といわれる Hugo Grotius(1583~1645)の De Veritate Religionis Christianae, 1724(キリスト教的宗教の真理について)がある。この書物が最初に出版されたのは1627年であるから、本文庫の初版本ではないが、貴重本であることはいうまでもない。

 

デカルトの初版本

グロチウスとほぼ同じ時期にデカルト(1596~1650)が活動しているが、本文庫にはデカルトの著作の珍しい初版本が3点含まれている。

一つは、Breves L. W. in Meditationes Metaphysicas Renati Cartesii Annotationes (形而上学的省察に対するレナートゥス・カルテジウスの簡単な註解)という小冊子である。これは題名どおりの内容のものであるが、公刊されたのはデカルトの死後の1657年であって、ヨハネス・ヘンリクスによって、アムステルダムで出版された。

次に、Magni Cartesii Manes ab ipsomet defensi; sive N. V. Renati Des-Cartes Querela Apologetica ad Amplissimum Magistratum Vltrajectum, qua technae, calumniae, mendacia, falsorum testimoniorum fabricae, aliaque crimina Voetiorum et Dematii, plene reteguntur...... という題の小冊子がある。これもデカルトの作品であるが、彼自身がつけた題は Querela Apologetica ......以下であり、最初の Magni Cartesii Manes ...... というところはおそらく出版者がつけた題であろう。どう訳したらいいのか甚だ心許なく、失笑を招くのではないかと心配なのであるが、仮に「彼自身によっても弁護さるべき偉大なるカルテジウスの死後の霊」ということにしておく。

デカルト自身がつけた題は「この上なく寛大なユトレヒト市当局に対する弁明のための訴状。本状によって、ヴォエティウス父子とデマティウスの奸計、中傷、嘘言、偽証の捏造、さらにその他の犯罪が余すところなく摘発されている」という意味であろう。

ヴォエティウス父子とデマティウスとは当時のユトレヒトにおけるデカルトの反対者である。この小冊子もデカルトの死後1656年にヴリスタディで公刊された。以上の2冊の初版本は大変な珍本であるといえよう。

さらに、R. Des-Cartes Opuscula Posthuma, Physica et Mathematica (R.デス=カルテスの自然学および数学上の遺稿小論集)がある。この本はラテン語による6つの論文からなり、「世界論」や「精神指導の規則」などが含まれている。死後50年たって、1701年にアムステルダムで公刊された。

以上の3冊はデカルト歿後にはじめて公刊されたデカルト自身の作品であって、いずれも現行のアダン=タヌリ版のデカルト全集に収録されている。

このほかに、デカルトの伝記的資料の根源として高く評価されている Adrian Baillet, La vie de Monsieur Des-Cartes(デカルト氏の生涯)の初版本がある。これは1691年にパリで出版されている。バイエの伝記はドイツのオルムス社から1972年に復刻版が出されるまでは、デカルト研究者垂涎の名著だったのである。

 

近世哲学の初版・古版本

デカルトのほかに近世哲学の初版本もしくは古版本として本文庫に含まれている書物を次に列挙しよう。すでに紙数も超過したので、著者名と書名とを並べておくだけにとどめる。

Franciscus Baco de Verulamio, De Dignitate et Augumentis Scientiarum, 1645(もろもろの学問の尊厳と進歩について)――本書は1623年に公刊されているが、1645年の版は索引をつけ、「新装版」editio novaと示されている。

1. Kant, Grundlegung zur Metaphysik der Sitten, Riga, 1785(道徳形而上学のための基礎づけ)――これは初版本である。以下のフィヒテ、シェリングの著作もすべて初版本である。

J. G. Fichte, Grundlage der gesammten Wissenschaftslehre als Handschrift fur seine Zuhorer,Leipzig, 1974(知識学の聴講者のための手稿としての、全知識学の基礎)

F. W. J. Schelling, System des transcendentalen Idealiamus. Tubingen, 1800(先験的観念論の体系)

ibid., Bruno oder uber das gottliche und naturliche Princip der Dinge, Berlin, 1802(ブルーノまたは事物の神的原理と自然的原理とについて)――本書の邦訳は服部先生と神戸大学の井上庄七教授との共訳で岩波文庫に入っている。

ibid., Philosohie und Religion, Tubingen, 1804(哲学と宗教)

ibid., Darlegung des wahren Verhaltnisses der Naturphilosophie zu der verbesserten Fichte schen Lehre, Tubingen, 1806(改良されたフィヒテの学説に対する自然哲学の関係の諞明)

F. W. J. Schelling's philosophische Schriften, Erster Band, 1809(シェリングの哲学的著作集 第1巻)――これはシェリング自身によって刊行された最初の著作集であるが、第1巻が出ただけに終わった。この巻には「哲学の原理としての自我について」(1795)、「独断論と批判主義についての哲学的書簡」(1795)、「造型芸術の自然に対する関係について」(1807)、「人間的自由の本質についての哲学的研究」(1809)などが含まれている。

以上が服部文庫に収められている哲学関係の稀覯本であるが、これだけを眺めてみても、服部先生の関心領域がいかに広いかが推察されるであろう。

服部先生の旧蔵書を見渡すと、先生の学問的関心の対象が古代から現代にいたる西洋哲学の全体に向けられ、且つ研究者としての姿勢は哲学史家としてのそれであるということは明白である。

西洋哲学の歴史的な順序にしたがって、古代哲学に関する文献から見てゆくことにしよう。

プラトンに関する文献は前回述べたビポンディナ版全集を含めて約100冊であるが、ギリシャ語全集としては、ほかに Carl Friedrich Hermann によって刊行された6冊本の Platonis dialogi secundum Thrasylii tetralogias dispositi(トラシュルスの4部集典にしたがって排列されたプラトンの対話篇集)1892-8,Teubner がある。この全集もテクストとしては古くなったが、第6巻にはアルビノスやアルキノスの「プラトン入門」、オリュンピオドロスの「プラトン伝」などが含まれ、今日でも価値がある。

アリストテレス関係のものは約50冊であるが、註釈書のなかに、今は復刻版が出ている F. Ravaisson, Essai sur la Me´taphysique d' Aristote, 2 tomes, 1846 の元版があるほか、The Metaphysics of Aristotle, transl. with notes by John H. M'mahon, 1891 がある。

また「ニコマコス倫理学」の註釈書としては、The Ethics of Aristotle,illust...... by A. Grant, 2 vol., 1885 とJ. A. Stewart, Notes on the Nicomachean Ethics of Aristotle, 2 vol., 1892 という優れたものが収められている。研究書のなかには H. Bergson, Quid Aristoteles de loco senserit, 1889 が含まれている。

次に本文庫の中心をなす中世哲学に関する文献を見てみよう。

服部先生は中世哲学の全体に深い関心をもたれ、したがって中世哲学の文献蒐集は、原典とその近代語訳ならびに註釈書、辞書、研究書など、基本的な全集・叢書・雑誌のバックナンバーから珍本の類にいたるまで、まさに体系的になされたのである。

中世哲学全般に関する文献としては、哲学史・教理史が40数冊含まれているが、このほか特筆大書さるべきものとして、ボイムカーの編輯になる Beitrage zur Geschichte der Philosophie des Mittelalters, (中世哲学史論集)Bd. 1 (1891)~Bd. 22 (1911) がある。

この Beitra¨ge は現在もなお刊行が継続され、中世哲学研究史上もっとも記念碑的なものといえるであろう。本文庫に所蔵されているのは最初の22巻であって、第23巻以降が欠けているのが惜しまれるが、個人でこのような現在入手不可能なものを購入しておられたのには驚く外はない。

教父哲学のなかで、服部先生が生涯をかけて研究の中心として来られたのはアウグスチヌスである。それ故アウグスチヌス関係の文献は本文庫における圧巻であり、400冊に及ぶ蒐集ぶりはまことに徹底したものである。

まずテクストからみてゆくと、ラテン語原典の全集としては、現在 Descle´e 社からフランス語との対訳版として刊行中の Qeuvres de saint Augustin の内、75年までに出た29冊が収められている。近代語訳の著作選集としては5種類が揃えられているが、現在入手し難いのは次のものである。

The Works of St. Augustine, ed. by M. Dods, 15 vol., 1872-6
Oeuvres comple´tes de saint Augustin, trad. pour la direction de M. Raulx, 17 tomes, 1864-73

個々の著作の中で、一番多く刊本が蒐められているのは、先生御自身が翻訳された「告白」であり、それにつぐのは翻訳計画中の「神の国について」である。このように御自身で翻訳される場合には、明治大正期の邦訳まで含めて、できるだけ多くの刊本を探索するのが先生の蒐集の一特色である。

「告白」のラテン語テクストは約10種あり、その内で今日入手し難いのは次の2点である。

Confessiones post editionem parisiensem novissimam, ed. M. Dubois, 1838
Confessionum Iibri XIII, auf Grundlage der Oxforder Edition, hrsg,v. K, v.Raumer, 1. A., 1856 & 2. A., 1876

このほか The Confessions of Augustine ed. J. Gibbs & W. Montgomery, 2nd. ed. 1927 には優れた解説と註釈がつけられ、昨年復刻されるまでは容易に閲覧しえなかったものである。

「告白」の近代語訳としては、 P. Janet (1857)、Rapp (4. durchges. A., 1863), Bornemann (1883),Lachmann (1888) など約20種ある。

「神の国について」のラテン語テクストには以下がある。

De civitate Dei contra paganos, ed. by J. E. C. Weldon, 2 vol., 1924
De civitate Dei, by C. Weyman, 1924

アウグスチヌスはこのほかに、哲学的な著作や聖書註解、ドナティストら異端との間に道徳や教会論などをめぐってなされた論争書など、人間のエネルギーの極限を示すほど厖大な作品を残したが、本文庫には各種の校本や近代語訳が蒐められている。

このほかアウグスチヌスの伝記的資料として欠かせないものに、弟子のポシディウスの手になるものがあるが、本文庫には最近の Pellegrino の版のほかに、次のものがある。

Sancti Augustini vita scripta a Possidio, ed. Weiskotten, 1919

アウグスチヌスの研究書も、19世紀より最近にいたるまでの、ドイツ、フランスを中心にしたヨーロッパ各国の学者による著名な業績が数多く含まれている。このなかで入手し難いものを若干挙げておくことにする。

Th. Gangauf, Metaphysische Psychologie des hl. Augustinus, 2 Bde., 1852
M. Ferraz, De la psychologie de saint Augustin, 2e e´d., 1869
P. Alfaric, L'e´volution intellectuelle de saint Augustin, 1918
W. Thimme, Augustin, 1910

アウグスチヌス関係の記念論文集には次のものがある。

S. Agostino, Publicazione commemorativa del XIV centenario della sua morte, conscriti di A. Gemelli, 1931 Milano
Augustinus Magister Congre`s International Augustinien, 3 vol. 1954

さらにアウグスチヌス専門の学術雑誌も揃っており、個人の蒐収もここまで来ると巨大な苦行である。

L´Anne´e the´ologique augustinienne, Anne´e 1 (1940)- Anne´e 14 (1954)
Revue des e´tudes augustiniennes, Vol. 1 (1955)- Vol. 21 (1975)
Recherches augustiniennes, 1958-1971

アウグスチヌスからトマス・アクィナスにいたる数多くの思想家のうちで、服部先生が特に関心をもたれたのは、「哲学の慰めについて」の著者として名高いボエチウスと、12世紀に花嫁神秘主義を唱えたクレルヴォーの聖ベルナール、およびアッシシの聖者フランチェスコである。

西洋中世における最大の体系的思想家が13世紀のトマス・アクィナスであることは衆目の認めるところである。服部文庫においては、アウグスチヌスについで数多くの書物が蒐められており、ラテン語原典、近代語訳、辞書、研究書など約250冊に及び、多彩をきわめている。

トマス以後の後期スコラ哲学についても多彩な文献が集められているが、なかでもドイツ神秘主義に関する文献が目立っている。

最後に、服部先生の近世哲学への関心は中世の場合と同じように、ルネサンス時代から現代の英、独、仏、の哲学にいたるまで近世全体に万遍なく及んでいるが、特に力を注がれたのはルネサンスと宗教改革の時代から17世紀の哲学にかけてである。これらの哲学者のなかで、特に関心をもたれたのは、大陸合理論のなかではデカルトとスピノザであり、イギリス経験論ではベーコンとホッブスであろう。

しかし残念ながらアウグスチヌス以後の文献については紙数の都合上すべて割愛せざるをえなかった。

18世紀以後の哲学に関する文献についてはもう述べている余地がないが、例えばカントの古い全集に次のものがある。

Immanuel Kant's sa¨mtliche Werke, in chronologischer Reihenfolge, hrsg., v. G. Hartenstein, 8 Bde, 1867-8

また、河野与一訳で日本でも親しまれている H. F. Amiel, Fragments d'un journal intime, 2 tom., 9e e´d., 1950 があるのも味な感じがする。

                                   川崎 幸夫(文学部教授)
昭和60年4月28日発行 関西大学図書館報『籍苑』(第20号)より転載
(所属は執筆当時のもの)
 

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