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室原文庫

 

室原文庫の誕生

「蜂の巣城は沈んでも・・・・不屈の斗争魂は残った。城主室原さんの文献 関大に永久保存――13年、血と汗の記録」「関大に”室原文庫”誕生 貴重な資料5千点永久に芳子夫人ら招き感謝状」昭和46年6月、7月にかけて各社新聞はおおむね右のような趣旨の標題を掲げて室原文庫の誕生を報じました。室原芳子夫人と長男基樹さんを関大会館に招待し感謝状の贈呈式と、新設の室原文庫を披露しましたが、席上、まず久井理事長が「法律、社会経済、自然科学、工学など松原・下筌ダム建設全般にわたる類例のない貴重な資料をいただき感謝しています。これを室原文庫と命名、本学図書館に永久保存し、学問の研究に役立てます」。また当時の広瀬学長は「昭和42年から5年間にわたり現地調査をしていた本学の総合学術調査団に便宜をはかって、親切にしていただき、このたびは、こんな大切な遺品を寄贈いただいて、ありがとうございました」とそれぞれ謝辞を述べ、芳子夫人も「こんなに大切に保存されて、主人もさぞ本望でしょう」と感懐を述べておられる。私もまた「故室原知幸さんは蜂の巣城主として、一徹な荒々しい性格の人のように思われているが、本当の姿はまじめな学究の人だった。学者が何人がかりかで研究することを一人でやり通そうとした。室原文庫はその記録です。公権と私権のあるべき姿をこの文庫は教えさとしている」「公共事業は法にかない、理にかない、情にかなったものでなければならない」と起業者である国を厳しく拠判し続けた室原さんの理論の庫をうけ継いで、じっくり勉強させてもらい、遺された教訓を世に顕示してゆきたいと思います」といった談話を発表しています。
 

蜂の巣城紛争の概要

昭和28年6月25日、集中豪雨に見舞われた筑後川は”筑紫次郎”と異名をとるだけに、その荒っぽさをもって流域一帯に大洪水をもたらしました。そこで国は早急な治水対策にのり出し、その一環として、治水目的のほかに発電をも含めた多目的ダムを、その一支流である大山川に建設することになったのです。そして、その計画は下筌ダムと松原ダムの二つから成り立っていました。ところが、そのダム建設の位置の選定や、治水計画上の科学的根拠等に対する疑義は、当該ダムの公共性そのものへの疑惑にまで発展し、地元民によるダム反対斗争を誘発し、後には多数の支援団体等も応援して、大規模な紛争に発展したのであります。そして、そのリーダーとして登場したのが室原知幸さんでした。彼は「法には法」「暴には暴」を標榜して「蜂の巣城」と呼ばれる砦を下筌ダム建設予定地に築いて抵抗した。第一蜂の巣城が行政代執行により落城すれば、直ちにそこに隣接して第二蜂の巣城を築き、更に第三蜂の巣城を構築した。しかし、支援団体等が離れてゆき、最後には親族だけになっても彼の信念はひるまず、水没予定地にある自邸に赤地に白丸の室原旗を掲げて抵抗を示し、法廷における理論斗争に限りない情念を燃やし続けたのです。その法廷戦術は、いかなる公共事業の遂行においても生起するであろう問題の一つ一つを克明に捉えて訴訟対象に引き入れていったのです。

法廷斗争の一つのピークは、土地収用法の適用に対する事業認定無効確認訴訟の提起でした。そしてこの事件の結果は、判決に負けて訴訟に勝ったといわれるぐらい、国側の理論を圧倒していたのであります。しかし、ダム建設に必要な用地は、その大部のものが既に任意買収され、工事の進展をみている状況下で、室原さん自身も「ダム反対」は逆さに読めば「対反ムダ」「大半は無駄」と覚悟しつつ、なお国などが行う公共事業の適正な在り方を訴えると共に、補償をもらって水没地域を去り、生活再建を計る地元民の利益を掩護する意思を秘めて抵抗をゆるめなかったのです。その間には知事の斡旋や、建設大臣の直接の話し合いの申し入れもありましたが、全て拒否し続けました。

しかし一方では82件に及ぶ法廷斗争の大記録や、科学的根拠に裏付けられた理論の社会的、あるいは学問的価値を客観的に評価してもらうことにより、歴史上に正しく名を止めようとする意識もあって、厳正中立の姿勢、客観的な純粋学問的立場から蜂の巣城紛争を調査研究し、論評してもらえる学者を捜したのでした。

 

関西大学下筌・松原ダム総合学術調査団と関西大学教育後援会の支援

室原知幸さんは信頼する関係者の推薦により、未だ直接面識はないが、関西大学の桜田を第一候補に選び、室原さんの代理人としては森純利氏が、建設省側からは松原・下筌ダム工事事務所長副島健氏が帯同して私の所へ調査依頼にこられたのは昭和42年3月でした。当初は現地が遠隔地であり、九州にも秀れた大学があるではないか、という気持ちもあって消極的でしたが、乞われて予備調査に出かけ、室原知幸さんにも会い、その人柄に接し、その誠意に心を動かされ、また紛争当事者双方からの積極的協力が約束されたので、研究報告の客観的公平さが保持できるという確信がもてたので引き受けることにしました。しかし、その調査対象となる紛争の内容は、広範な学問領域にまたがり、しかも、人間の本質に根ざす重要な問題であり、人を知るためには短期間では到底満足な調査をすることはできないと判断しました。そこで本学の法、文、経、商、工、社の六学部から、それぞれ関係の深い専門分野の先生方のご参加を願ったところ、最終的には40名に及ぶ教授、助教授、講師のご協力が得られたのであります。また現地調査の期間は、5年を計画しましたが、網干教授による水没予定地域での縄文遺跡の発見もあり、結局、追跡調査等を含めて第八次まで実施し、約10年を費やしました。その間、必要に応じて小グループの調査なども行い、人員も延べ250名に及んだのであります。しかし、この調査団は一部に誤報もあるが、大学が編成し派遣したものではなく、あくまで研究意欲に燃えた教授たちの自発的・個人的参加によるものであり、その経費も参加者の自己負担金を基礎としています。そして多数の協力者の寄付金品によるもので、客観性を保持するため、特定のスポンサーにも頼ることなく実施したのであります。もちろん、初めは大学に趣意書・計画書を添えて援助を求めたのですが、相手にされなかったのです。そこで事情を知った校友弁護士の諸氏や知人、趣旨に賛同された久井理事長が、大学としてはできないので個人的に集めて下さった資金、森本幹事長のご高配により関西大学千寿会からネーム入りの鉛筆、ソノシート等の寄贈を受け、現地の人たちとの交流に役立たせてもらい、また後援会有志会員のご寄付まで得て、ようやく第1回調査を実施したのであります。

現地では、九地建、室原一族や関係市町村の協力はもちろん、各報道機関の信頼と温かい支援を受け、また特に熊本の九州産交からは、バスや調査用の小型車まで提供を受け、毎回の総合研究会には阿蘇観光ホテルを利用させてもらったのですが、その世話役を担当されたのが同社の秘書役(現 専務取締役)杉山寿一氏でした。同氏は、調査団の姿と団員各位の人柄に惹かれ、2人の令息を2人共関西大学へ進学(兄は経、弟は法)させ、自らは教育後援会熊本支部長まで引き受け、過般は関西大学より感謝状を受けられたのであります。殊に本稿の主人公「室原文庫」は、実は杉山氏のご高配により九州産交所属のトラックにより熊本県小国町の室原邸から本学図書館へ無料で輸送していただいたのです。その他、教育後援会会員の子女で学部在学中に特に乞われて本調査団の補助員として参加された者も数多くあります。

その後、大学からは若干の援助金を受けましたが、何よりも大きな後援は、調査研究が10年に及び、資金的にも困っていた時期に、団としては最後の追跡、補充のための第8次現地調査を実施しなければならず、その費用と報告書に掲載するための団員全体による学談会記録の作成費用が必要となった際、関西大学教育振興植田基金(基金運営委員長、元教育後援会々長植田正路氏)からそれが提供されたことであります。わが学術調査団の研究活動の背後にはそのような教育後援会のご協力があって、これが成功に導かれたのであるといえるのです。そして「室原文庫」は右のような経緯を経て充実した関大調査団に対して室原知幸氏や、そのご遺族たちが寄せられた信頼関係と人間的結び付きがもたらした輝かしい金字塔だといえましょう。

 

室原文庫の内容

室原文庫は特に目立つような貴重な学術的文献が集められているといったものではありません。しかし、先ず82件にのぼる膨大な訴訟記録の全てが1カ所に集められ、保存されているということは貴重であります。それは13年にわたる蜂の巣城紛争の理論構成の源泉であり、その記録は秀れた学術論文集といっても過言ではないからであります。その2は、右の理論の科学的裏付けをする為に必要な文献の集積があることです。中には室原さんが電気工学を一から勉強するための高校の教科書もあれば、イギリスの土地収用制度を知る為に、東大の英米法の権威、伊藤正巳教授(現最高裁判事)に乞うて指導された英米法入門の書と英国土地収用法の本もあります。法律、政治、経済、工学など社会、人文及び自然科学の書物や、全国各地のダム建設記録もあります。一つ一つをみれば、どこにでもある本かも知れないが、公共事業と人間の尊重の本質に迫る理論構成をするのに必要な多くの文献を一堂に集めてある、というところに学問的意義があるものと思われるのです。今後の公共事業を推進するに当たっても、「人間の尊重」という国政の窮極の目的に適合し、二度と悲惨な紛争の起こらないように多くの教訓を提示した文庫ということができます。

この一文が皆さんの目にとまる頃に、丁度、時を同じくして関西大学下筌・松原ダム総合学術調査団編『公共事業と人間の尊重』(ぎょうせい発行)が公刊されることになりましょう。その本は、あるいは室原文庫を集約してあるといえるかもしれない。そして、その問題点を一層深く、広く認識するためには室原文庫がお役に立とうとひかえていることになりましょう。

室原文庫の存在意義をご理解の上、皆様のご高覧を賜わる機を得られるなら、関係者一同此の上ない喜びと存ずる次第であります。

                                     桜田 誉(法学部教授)
昭和60年4月28日発行 関西大学図書館報『籍苑』(第20号)より転載
(所属は執筆当時のもの)
 

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