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矢口文庫

 

自力で図書館の貧弱さを補う

矢口文庫が近く公開されることになった。矢口文庫というのは、本学の元学長で、イギリス経済史の研究者であられた故矢口孝次郎先生の蔵書である。先生は本学に46年間勤められたが、先生が昭和3年に本学にこられた頃、図書館はまことに貧弱で、蔵書数はわずか1万数千冊にすぎなかったという(現在は約105万冊)。それにもかかわらず多くの著書を著わし、戦後、多くの研究者を養成しえたのは、一つには戦前から書物の収集家であられたからであろう。戦前は文献情報も乏しく、今のような複写機もなかったから、研究を進めるためには、自力でもって図書館の貧弱さを補わねばならなかった。そんなことが先生を収書家にしたのかもしれない。

矢口文庫は約2500冊、そのうち洋書は2000冊、和書は500冊である。和書・洋書とも、大部分はイギリスの経済史、社会史、政治史、法制史に関するもので、経済史関係では先生の著書や研究歴が示しているように、イギリスの封建制、重商主義、産業革命、帝国主義、および羊毛工業史に関連したものが多い。中でも、先生が深い関心と共鳴を示されたウェッブ夫妻、コール夫妻、R.H.トーニーの著作は多くの方々に利用していただけるのではないかと思われる。

次に、文庫の中から18世紀と19世紀にロンドンで刊行された、イギリス商業史に関する二つの著名な文献とその周辺を紹介してみよう。

 

A.アンダスン『商業の起源』にみる平戸の二つの東インド会社

矢口文庫のなかには豪邸の応接間の書棚を飾るにふさわしいような豪華な装丁の本が数多く含まれているが、中でも2冊の大型本がひときわ目を惹く。M.ポッスルスウェイトの『世界商業辞典』(Malacy Postlethwayt, Universal Dictionary of Trade and Commerce)の初版本2巻(第1巻1751年、第2巻1755年刊)である。これはイギリスで発行された商業史辞典としては最も古いものであるが、主体はパリで刊行されたジャック・サバリーの本の翻訳である。ここ紹介するアダム・アンダスンの『商業の起源』はイギリス人の書いた最初の重要な商業史の著作とされている。

本書は昨今の週刊誌よりやや大型で、文庫に収まっているのは1787年刊行の第2版4冊本である。初版(2冊)が刊行されたのは1764年であるから、スミスの『国富論』より10年以上早く、イギリスでは産業革命の前夜であり、日本では田沼時代にあたる。本書のフルタイトルは写真に見られるように、An historical and chronological deduction of the origin of commerce, from the earliest accounts to the present timeのあと、延々と続くのであるが、たとえば『国富論』がそうであるように、これが当時の慣行である。なお、第2版の初めには、本書が時の大蔵大臣ウイリアム・ピットに捧げられた旨の出版者による大仰な献辞がついている。

本書は各巻550ページないし800ページもある大著で、編年史ふうに編まれており、世紀が代わるごとに、冒頭においてその世紀の特徴が簡潔に示されている。記述の内容は今日からみれば、もちろん誤りも多いが新大陸発見以降についてはほぼ信頼しうるとされている。ところで、商業史について記念碑的労作を遺したアンダスン(1692?-1765年)は決して大学に籍をおく学究の徒ではなかった。彼はアバディーン生まれのスコットランド人で、1765年に亡くなるまで40年以上「サウス・シー・ハウス」に勤め、株式や年金証書を扱う上級職員であって、独占を非難し自由競争を礼賛しているところからすれば、思想的にはスミスにかなり近かったようである。

ところで、当時のイギリス人は日本について、どの程度の知識をもっていたのであろうか。本書に例をとると、アンダスン自身の手になる1762年までのところで、日本に関する記事があるのはわずか7ページにすぎない(中国については14ページ)。

日本が最初に登場するのは1542年で、ポルトガル人は中国の東に日本を発見し、そこで厚遇されたとある。最後は1747年のところで、ここにはオランダ東インド会社が日本帝国との貿易を許された唯一のヨーロッパ人で、同社はバタビアに大政庁を構えていたが、日本国内には要塞ないし商館をもつことは許されていなかったとある。

1747年といえば延享4年にあたるが、その前年、幕府は長崎貿易をオランダ船2隻、中国船4隻に制限していた。1550年――ポルトガル人の猛烈な布教活動の模様と日本の弾圧が述べられており、日本人の約3分の1がキリスト教徒に改宗されたという説があると書かれている。

次いで日蘭貿易がとりあげられ、1640年以降、オランダ人が平戸から長崎出島へ移動したこと、兵器輸入の状況、ただの大倉庫という口実の下に要塞が構築されていたのを日本側に発見されたこと、貿易利潤が低下したこと、オランダの輸入品がヨーロッパ製の毛織物、麻織物、遠眼鏡、ガラス製品、およびインド、ペルシャ、アラビア製の品々であったことなどが述べられている。

また、日本については、物産豊かな国であるとし、米麦のほか、最高級の茶、磁器、漆器、中国製より遥かに優れた絹、綿、薬品、珊瑚、象牙、ダイヤモンド、真珠、その他の宝石類、金、銀、銅、鉄、鉛、錫があげられている。これでは少々豊かすぎるが、現代の資源小国日本も、当時は物産豊かな国と考えられていたことがわかる。

1613年――イギリス東インド会社の船(船長ジョン・セーリス)がFirando港に到着した。日本を訪れた最初のイギリス人である。彼らは奉行の好意によって上京、Emperor(家康のこと)に英国王の親書と贈り物を差し出し、日英貿易の自由を認められた。平戸のセーリスは、敵意むき出しのポルトガル宣教師やオランダ東インド会社の妨害の中で、商館を設けたのち帰航の途につき、途中バンタム(ジャワ)に寄港して胡椒を積み込み、母港プリマスに帰港した。

なおイギリス東インド会社は1600年(関ヶ原の年)の創立以来、一航海毎に資本を募集してきたのであるが、1613年のこの航海は、連続的な資本計算の方式を採用した第1回目の航海であった点が特記されている。日本の歴史家にとっては見逃がしてはならない指摘であろう。

1619年――イギリス人が日本と中国・交趾支那(現ベトナム)との間の貿易に失敗したこと、日本におけるキリシタンの大量処刑の模様、オランダ人のイギリス人に対する激しい敵対行為に関する情報が届いたこと等が述べられている。ちなみに、イギリス東インド会社は日本に滞在すること10年、1623年に商館を閉鎖して引揚げたのであるが、当時の英蘭の角逐、ポルトガル、日本、中国、インドの国際関係に関心のある方々にとって、本書は便利な年表として利用価値があろう。

 

レオン・レヴィ『イギリス商業史』と田口卯吉

イギリスは明治日本にとっては近代化のモデルであり、憧れの国であった。「英国病」に蝕まれた現代のイギリスを知っている日本人には、ユニオンジャックが栄光に輝いた日の大英帝国の姿を想起することはむつかしい。同様にイギリスから御雇外国人を招き、イギリスへ留学生を送り、競って英書を翻訳した明治の人びとが、どれほどイギリスの社会や文化に憧れていたかを理解することも容易ではなくなった。

幸いなことに、矢口文庫の中の和綴じ本のなかには、福澤諭吉の『西洋事情』、スマイルズの『自助論』を訳した中村正直の『西国立志編』といった明治のベストセラーをはじめ、イギリス史やイギリスの経済学に関する明治の翻訳書が多数含まれている。

これらの和装本を手にされるならば、読者は必ずや近代化に打ち込んだ先輩の情熱を感じとられるにちがいない。そうした明治の訳書のなかからレヴィ著『大英商業史』17巻、明治12年(第9巻に明治14年2月の序あり)をとりあげ、その訳者田口卯吉と原著者レオン・レヴィを紹介してみたい。

田口卯吉、鼎軒(テイケン)(安政2年~明治38年、1855~1905年)は実に早熟の人で、紙幣寮に出仕しながら、政府の保護貿易政策を攻撃した処女作『自由貿易日本経済論』(明11)を発表し、翌年にはイギリスの『エコノミスト』を範とした『東京経済雑誌』を創刊している。まだ、20代台前半であった。

ここにとりあげたレヴィの500ページを越える大著History of British commerce and of the economic progress of the Britishnation 1763 - 1870, London, 1872の訳書(後半の第9巻以下は藤田静の訳)を刊行したのも同じ時期であった。彼の立場は終始イギリス流の自由主義でもって貫かれており、生涯、自由貿易主義、自由主義経済理論を主張し続けたのである。

田口卯吉の自由主義は、じつは彼が若き日に訳した『大英商業史』の著者の主義主張でもあった。原著者レヴィ(Leon Levi, 1821 - 1881)はユダヤ系イタリア人で、1844年に渡英、イギリス市民となり、のちにリバプール商業会議所の事務局長に就任した。彼は経済の理論と実務に精通した人で、統計協会副会長を務めた統計家であり、イギリス商法の改正に貢献した商法学者でもあった。

田口のひたむきな自由貿易の主張は、イギリスにおける自由貿易運動の闘士リチャード・コブデンを彷彿させるが、レヴイはそのコブデンの友人であり、1865年、ロンドンのキングス・カレッジで「リチャード・コブデンについて」と題して講演し、パンフレットを出すほどの心酔者だったのである。

大著の「はしがき」において、「イギリスが今日の高い地位につきえたのは、商工業を拘束せず、自然の法則を妨げず、あらゆる障害を除去し、各人のエネルギーを適切に発揮しうるように、すべての道を開放したからである」といったレヴィの言葉は、田口には偉大な国の歴史的教訓として受けとめられ、彼の終生変らぬ信条となったのである。

矢口孝次郎先生と矢口文庫については、『関西大学通信』101号、昭55.1.18(森川彰稿)、関西大学図書館報『籍苑』9号、昭55.3(拙稿)、「矢口孝次郎名誉教授追悼文集」(『経済学会報』創刊号、昭55.12所収)に詳しい。

なお本稿の執筆にあたり、図書館の万里小路通宗、大国克子、仲井徳の諸氏から助言をいただいた。

                                      荒井 政治(名誉教授)
昭和60年4月28日発行 関西大学図書館報『籍苑』(第20号)より転載
(所属は執筆当時のもの)
 

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